湄洲島は福建省莆田市中心の東南42キロメートルに位置し、中国の四大国際乗換港の1つである湄洲湾港の北部にあり、大陸までわずか1.82海里で、また台湾の台中港まで72海里であり、島の大きさは莆田市の二番目であり、下に11個の行政村を管轄してあり、陸部分の面積は14.35平方キロメートルがあり、大きいや小さいな島、嶼、礁およそ30個余りを含めている。全島の南北の長さは9.6キロメートルで、東西の幅は1.3キロメートル、その形は娥眉のようで、湄洲と名付けられた。1992年に国務院の承認を経して、国家リゾート地と決められた。2010年に被福建省人民政府に湄洲媽祖文化生態保護実験区と決められた。「南国蓬萊」という美称を持つ。
鵝尾地質公園は風景の秀麗な湄洲島の最南端に位置し、三面に海を臨み、標高65メートルで、面積は32ヘクタールで、公園の全貌が鵝尾と似たため名付られた。山がカレドニア造山運動による御影石から構成したものである。4.1億年の地殼動きまた海食の動きなどを経て地の形が変わり、“飛戟洞”、“海門”、“獅子山”と“神石岡”など様々な形の異なり、神韻のありな自然風景ができた。“奇石盆栽園”とも言われる。
宝瀾砂浜ともいう,湄洲島の西南露出した島と繋がる砂堤にあり、砂浜の長さは3000メートル,幅は300-500メートル,勾配は50-60,主に些細な砂に構成され、浜が平らで坂が緩め、砂の細かさが顔のようで、色は黃金のようである。北に広い森を持ち、南に広大な海を臨む。“天下第一浜”ともいわれ,アメリカの旅行家によると、まさか “東のハワイ”と褒めていた。
媽祖祖廟は湄洲島の北部の宮下村に位置し、宋代よりできた所であり、「神女祠」と名付けされた。何回も修繕や拡大化を経して、 今の規模となった。それが世界媽祖廟宇の祖庭となっている。祖廟建築群の規模は広大で、雄大また壮観で、樓と亭が交わり、殿と閣は縦横で、西線と南線といった2組の建築群を含める。西線には大きいや小さいな建築は約36箇所があり、南線には大きいや小さいな建築は約20余りの箇所があり、「海上ポタラ宮」と言われている。2004年に国家による初となる世界的な媽祖文化社団の「中華媽祖文化交流協会」が湄洲島の媽祖祖廟に成立した。これは媽祖信仰が正式に媽祖文化と示されたことである。2006年に湄洲媽祖祖廟が「国家重要文化財」と評価された。
媽祖文化影視園は湄洲島の東環路東海岸の港楼村にある。2011年10月に、大陸初の38話である大型神話テレビドラマの『媽祖』が湄洲島にて撮影始めた。『媽祖』とのテレビドラマの撮影地の建築風格とドラマに使われた道具および素晴らしいハイライトを保護するために、また古湄洲民俗文化を展示するため、媽祖祖廟取締役会が旧宋代漁家の村を基にした媽祖文化影視園を開発し建設した。2012年10月31日午後、媽祖文化影視園は正式に開園した。該当園は宋代の漁村の民居の建築群を表すほか、風順牌坊、媽祖吉祥鎖、湄洲古韻、『媽祖』ドラマ展示庁、海韻閣等の観光所を建てた。園內に擬古した建築と延び続けた砂浜と海が互いに引き立て合って風情を添えている。千年の歷史文化を沈んだ宋代漁家の村の壮麗な絵が形成した。「海上平和の女神」の媽祖の誕生と成長の地の歷史の元様子を再現したのだ。2015年に開放した海族館は媽祖文化影視園の新たな観光名所となっている。
天妃故里遺址公園は莆田湄洲島の東蔡村にあり、資源、景物の特色により、園內に故里遺址区、敬祖祭祀区、崖刻景觀区、吉祥文化区、民俗風情区等の5つ機能観光エリアを企画し建設した。150ムーに至る総面積を企画した。主体な建築設施の一として、源流館には多数の媽祖に関する重要文化財を保存している。天妃故里遺址公園は媽祖文化、自然景観、園林芸術を一体に融合し、雄大な人文芸術の殿堂のようで、重現了天妃故里の特色と媽祖文化の神韻を再現したのである。ここは媽祖信仰風習を救うまた保護する重要陣地となり、世界の媽祖文化センターの建設を推進してきた。